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ドラえもん
ジャンル ギャグ漫画
SF漫画
アニメ:ドラえもん
監督 上梨満雄(チーフディレクター)
アニメーション制作 日本テレビ動画
製作 日本テレビ
日本テレビ動画
放送局 日本テレビ系列
放送期間 1973年4月1日 - 9月30日
話数 52話/26回(15分2話完結)
テンプレート使用方法 ノート

ドラえもんは、藤子・F・不二雄漫画作品『ドラえもん』を原作とするテレビアニメである。

『ドラえもん』のアニメには以下の3作品が存在する。

  1. 1973年に放送されたシリーズ
  2. 1979年から2005年3月まで放送されたシリーズ
  3. 2005年4月より放送中のシリーズ

これらを区別する呼称は公式には発表されていない[1]。一方、アニメ誌では2005年4月より放送中のシリーズを『ドラえもん(新・第2期)』としている。ウィキペディアではそれにならい、1973年に放送されたシリーズを第1作、1979年より放送されているシリーズをまとめて第2作とする。また第2作において、1979年から2005年3月まで放送されたシリーズを第1期、2005年4月より放送中のシリーズを第2期とする。

本記事では第1作について記述する。

第2作1期については「ドラえもん (1979年のテレビアニメ)」を、第2作2期については「ドラえもん (2005年のテレビアニメ)」を参照

概要 編集

ファンからはしばしば「旧ドラ」と呼ばれる。「日テレ版ドラえもん」「日本テレビ版ドラえもん」と呼ばれたりもする。メインスタッフには旧虫プロダクション出身のメンバーが集い、アニメ制作は日本テレビ動画の東京本社、そして同社の新潟スタジオと幾つかのグロス請けスタジオがローテーションを組んで制作がスタートした。1973年4月1日にパイロット版を流用し再構成した「出た!! ドラえもんの巻」を第1話として放映がなされた。ドラえもんの声はまず富田耕生が担当した。現在放送中のアニメ第2作とはイメージがやや異なる印象を持たれるが、当初スタッフは、ドラえもんというキャラクターに「世話好きなおじさん」というイメージを抱いていた。動物役も多く演じていた富田は初めから決めていたという。

現在放送中のアニメ第2作に比べて、色指定のコントラストが穏やかであった。これは、当時のアニメが一度35mmネガフィルムで撮影し、その後、16mmポジフィルムに転写してテレシネスコープで放映するという物だったのに対し、本作は、直接16mmフィルムで撮影していたことにも起因する。

日曜の19時(夜7時)からの30分番組というゴールデンタイムの放送であったが、当時の裏番組に、視聴率が高かった「アップダウンクイズ」(毎日放送制作、テレビ朝日系列)や「マジンガーZ」(フジテレビ系列)。そして三波伸介の「減点パパコーナー」が人気だった「お笑いオンステージ」(NHK)、子供向けSFドラマ「へんしん!ポンポコ玉」(TBS制作朝日放送系列)などに押され、視聴率の確保に苦戦を強いられていたという。

2クール目に入ると、連載が『小学五年生』『小学六年生』にも開始されたこともあり、高学年にも視聴に耐えうるよう、原作では余り登場しなかったアヒル型ロボット「ガチャ子」をレギュラー入りさせるなどスラップスティック要素を強調した。またドラえもんの声優も2クール目に入ると「イメージが違う」という声も上がり、2代目となる野沢雅子に交代するなど、大胆なテコ入れを図った。その甲斐もあり、夏頃にはわずかではあるが徐々に視聴率も上がっていた。収益自体も黒字で、1年延長の予定があったという。

突然の中断 編集

しかし、2クール終了間際に制作会社の社長の新倉雅美(渡邊清)が突然辞任。経営を引き継いだ同社会長は、アニメ会社の経営に無関心な人物で、「もう止めよう」の一言で会社は解散、消滅した。理由は本作の黒字経営で、過去に経営していた東京テレビ動画時代からの赤字を補填出来るまでに至った時点で、アニメ事業に興味をなくしたためだという。同年9月30日の「さようならドラえもんの巻」を最終話とし、半年で終了となった。最終回ではドラえもんは未来に帰り、自転車が漕げなかったのび太が泣きながら自転車を漕ぐ練習をするところを、未来の世界から見守るところで物語が終わる。

放送終了後 編集

残された本作の元スタッフらは、グロス請け先の支払い金を充てるため、会社の備品など売れるものは全て売り払い、社屋引き払いのため本作に関する資料やセル画のほとんどを止むを得ず廃棄処分したという。当時のスタッフが個人的に所有しているごく一部のもの以外、現存しないことが明らかにされている。

なお、本作フィルムは放送終了後、日本テレビで7年間管理され、その間は地方局へ貸し出されたりしていた。再放送はテレビ朝日系での放映が始まる1979年までの5年余りの間に、地方局などで比較的多くされていた。

フィルムは日本テレビでの管理期間終了後、廃棄処分されたものと思われていた。しかし、安藤健二『封印作品の憂鬱』(洋泉社)によると、1995年当時のIMAGICAで後半16話分のネガフィルムが発見され、保管されているという。しかし、日本テレビ動画の著作権の引継ぎ手が不明なため、宙に浮いた状態となっている。

旧から新へ 編集

最終回の際、当時の製作スタッフは、将来続編の製作を期待し、深い気持ちを込めてラストのアイキャッチを「次回もお楽しみに」(前週までは「来週もお楽しみに」だった)として旧ドラを終了させた。残されたスタッフは債権処理などに追われたが、ついに日本テレビ動画が再建されることはなかった。

封印の理由 編集

現在では再放送はもとより、特番などでも紹介されることはほとんどない。その理由と経緯については、上述の『封印作品の憂鬱』において小学館関係者などの証言が詳しく述べられている。

作者である藤子Fは「原作とは似て非なるものだ」と本作に否定的であった。元々このアニメ化は日本テレビ動画側から小学館への「アニメ化するために適当な原作を紹介して欲しい」との申し入れによって決まったものだが、番組の内容については小学館と原作者は全くといっていいほど関われず、番組が打ち切られたことすら小学館に報せが来なかった[2]。当時の漫画界では「アニメが終わったら原作も終わる」というのが常識であり、そのため『ドラえもん』も一時は連載を終わらせ新キャラクターと入れ替えようという話が小学館から出ていたという。自作『ドラえもん』に愛着のあった藤子Fは、それを押し切る形で新連載である『みきおとミキオ』との2本立ての形で連載を続行したが、1974年より刊行が始まったドラえもんの単行本が予想外の大ヒットとなったため、『みきおとミキオ』の連載は1年で打ち切られた。

1979年、アニメ第2作1期が放送され始めたころ、7月から8月にかけて藤子Fの故郷でもある富山県富山テレビ放送フジテレビ系)で本作が再放送された。それを知った藤子Fは、「たしかに一度は許諾して作ったものだけど、私の原作のイメージと全然違うし、放送してほしくない。」と大変怒り、小学館を通じて放送中止の警告状を送った。そのためこの再放送は9回目の放送で打ち切られた。温厚で知られる藤子Fがこのように怒りを顕にしたという証言は他にほとんどなく、それだけに日本テレビ版ドラえもんに対する印象が悪かったことが伺える。作品が現在封印されているのは、権利者側が原作者の意思を尊重しているためである。

藤子プロおよび小学館が監修発刊したムック本『ドラえ本3』(小学館、2000年)には写真入りで本作がわずかに解説されており、「原作のイメージと違っていて半年で終了した幻の番組」と紹介されている。また、後に大山のぶ代が、作者から本作の再アニメ化に対し「嫁に出し傷ついて帰って来た娘を再び世に出すのは嫌だ」と、難色を示す発言をしていたと語っている[3]

その一方で、本作の元スタッフである真佐美ジュン(本作の制作主任を担当した「下崎闊」の別名)によれば、当時の制作スタッフは音声まで入った完成フィルムを惜しげもなく全面リテイクするなど、クオリティの向上には常に真摯に取り組んでいたという[4]。そして、放送終了後も作者は好意的であり、放送終了後に藤子本人に会いに行った際には「是非またやろうよ」と言って握手してもらったと述べている[5]。なお過去に日本テレビで放送された教養番組『特命リサーチ200X』において再放送する企画があったが、権利の問題などから実現できなかったと言うエピソードもある。

トリビア 編集

  • フジテレビのバラエティ番組「トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜」内でドラえもんに関するトリビアの補足の中で「野沢雅子がドラえもんの声優をやっていた」と紹介された際、本作を知らない視聴者からテレビ朝日に問い合わせが来たという逸話もある。ただしこのとき、「初代は野沢雅子」と誤った内容で放送されている。
  • 本作でジャイアンを演じ、第2作1期でスネ夫を演じた肝付兼太は本作を白黒作品として記憶しているようで、公演などで本作の話題が出ると、来客からしばしば指摘される姿が見受けられる。
  • ラッシュフィルムおよび本編フィルムのうち数本は、先述の元スタッフが個人的に保管しており、これらがファンクラブの集いなどで時折上映されている。また、その人物が自身のパスワード制サイトで会員のみに公開していたオープニング映像(ノークレジットOPに後からテロップを追加したもの)が無断で転載(YouTubeなど)され、流出したものが散見される。
  • フィルムの編集作業は、奇しくも当時の藤子スタジオと同じビルの、スタジオ・ゼロで行われていた。
  • 本作の声優がアニメ第2作1期(1979年 - 2005年)では別の人物の声優を担当している例がある。
    • 肝付兼太(本作の「ジャイアン」→第2作1期の「スネ夫」)
    • 小原乃梨子(本作の「のび太のママ」→第2作1期の「のび太」)
    • 太田淑子(本作の「のび太」→第2作1期の「セワシ」)
  • なお、初代の先生を担当した加藤修は、第2作1期でも短期間ではあるが先生を担当し、その後スネ夫の父親も担当している。
  • 安藤健二著『封印作品の憂鬱』によると、関東地区での平均視聴率は6.6%であった。
  • 2009年1月22日ニッポン放送ラジオ番組高嶋ひでたけの特ダネラジオ 夕焼けホットライン』で1973年版のドラえもんについて特集した。当時のスタッフである真佐美ジュンへのインタビュー、そして本編の音声の一部が放送された。

スタッフ 編集

※ ここでのスタッフ情報は本作の元スタッフによる記述に拠るものである。

  • チーフディレクター - 上梨満雄
  • 担当演出 - 岡迫和之、腰繁男
  • 脚本 - 山崎晴哉鈴木良武、井上知士、吉原幸栄、馬嶋満、園屁蔵士、他
  • 絵コンテ - 生頼昭憲、奥田誠二、棚橋一徳、矢沢則夫、村田四郎、岡迫和之、石黒昇、腰繁男
  • 作画監督 - 鈴木満、村田四郎、宇田川一彦、生頼昭憲、白川忠志 他
  • 美術監督 - 鈴木森繁、川本征平
  • 撮影監督 - 菅谷信行
  • 編集 - 西出栄子
  • 音楽 - 越部信義
  • プロデューサー - 佐々木一雄
  • 製作 - 日本テレビ動画

キャスト 編集

所属事務所別では青二プロダクションテアトル・エコーが協力している。

主題歌 編集

  • オープニング
ドラえもん
歌 - 内藤はるみ劇団NLT
作詞 - 藤子不二雄
作曲・編曲 - 越部信義
  • この曲を採用しているカラオケメーカーがある。曲名「ドラえもん(旧)」という表記が用いられている。
  • エンディング
ドラえもんルンバ
「ドラえもんのルンバ」という表記も存在する
歌 - 内藤はるみ
作詞 - 横山陽一
作曲・編曲 - 越部信義
  • 挿入歌
あいしゅうのドラえもん
歌 - 富田耕生
ドラえもん いん できしいらんど
歌 - コロムビアゆりかご会、劇団NLT
  • レコードは主題歌・挿入歌の4曲を収録したコンパクト盤が先行して発売、後に主題歌2曲入りのEP盤が発売された。主題歌2曲に関してはオムニバス盤CD等にも収録されている。

参考資料 編集

脚注編集

  1. 2005年4月より放送中のシリーズのDVDは『NEW TV版ドラえもん』というタイトルで発売されている。
    NEW TV版 ドラえもん 春のおはなし 2005[DVD](小学館)
  2. そのため、最終回後に発行の『小学4年生』1973年11月号掲載のドラえもんの扉絵には「テレビ大人気放送ちゅう」とのあおり文句がある。
  3. 砂川啓介著『カミさんはドラえもん』より
  4. 旧ドラえもん製作者証言(記憶のかさブタ)
  5. テンプレート:リンク切れ【幻のドラえもん】(下)突然の最終回、セル画は河川敷で燃やされた (2/3ページ) - MSN産経ニュース (2009.01.12)

外部リンク 編集


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